展示団体紹介 ~政治経済研究部~ No.4

2020東京オリンピックに反対!

こう唱える人がいたらどうだろう。かなりの割合で異端者扱いをうけるだろう。オリンピックは平和の祭典。来年の今頃には輝かしく選手団が入場し、ほとんどの茶の間のテレビは選手の引き締まった体を映しているだろう。オリンピックを見ないのは来年大学受験を控えた者くらいではなかろうか。

そんな中で、である。

オリンピック反対! と声高に叫ぶ人物がいるとする。東京へのオリンピック誘致が決定した直後は、そのような声は意見として、頻繁にメディアに取り上げられた。国立競技場、膨れ上がる予算、なにより東京都知事のゴタゴタが目立ち、日本の風潮として、反対の声はあちこちできくことができた。

では、今は?

反対を唱えたとして、それへの反証は容易に可能だ。国立競技場は完成し、メダルも出来た。国際的な気運も非常に高まっているし、今更後には引けないではないか。

これは完全に正しい意見である。私もめちゃめちゃ楽しみにしている。だが、ここでの問題は、オリンピック反対の意見へ反証が容易に可能だからと言って、耳を貸さないということだ。つまり、オリンピックが確実に開催される状況下で、根源的意見や指摘が封殺されてはいないか? と考えてみるべきなのだ。

実際、オリンピック反対! と言っている人々は少なからず存在する。その中にはアスリートでさえ含まれているという事実もある。

では、そのような事実があるのにも関わらず、あまり知られていない、あるいは報じられないのはなぜだろう?(反対意見を述べているのだから、情報媒体に主張を寄稿するなどしているはずなのに、その手のニュースや特集が比較的すくないのはなぜだろう? 彼らは一体どこで反対意見を述べているのだろう?)

そもそも彼らの意見は、オリンピックそのものを否定し、中止させようとしているものではない。彼らの言う、反対! とは、現在でのオリンピックの制度、成立過程への反対意見だ。それらの意見はみな、オリンピックへの否定的な意見としてひとまとめにされ、異端者というレッテルを貼り付けられている。

実際に、声を挙げようとした人がいる。ダンサーであり、美術家でもある女性。オリンピック成立過程への反対意見を持っており、ダンサー、美術家という自らの属性を活用し、自ら作成した映像作品を美術館へ展示しようとした。しかし、美術館側は難色を示した。オリンピックへの反対の趣旨が含まれるため、敬遠に近い形で展示を拒んだのだ。最終的には展示を許可されたが、一部を黒塗りにして放映せざるを得なかった。

そう、オリンピック反対の声は、我々に届く前に消えていっているのだ。他にも、新聞に寄稿した文章が、オリンピック反対の趣旨があるという理由で書き直しをさせられた、という事例もある。彼らの声は小さく、細くなり、我々には聞き取ることが難しい。我々自身が、かぼそい声を聞くことを拒んでいないか? オリンピックが近い今であるからこそ、封じ込められた反対の声を聞き、双方でのコミュニケーションが必要だ。その対話が、来年の夏の平和の祭典を、より美しく、協調的にさせるかもしれないのだ。

オリンピック、たのしみですね~~。

タイトルとURLをコピーしました